交錯する、2つの影。
雪が降りしきる明神市の上空で、白き大天使・ジュノンと黒き堕天使・ミカエルが、人知れず死闘を繰り広げていた。
あまりにも深い因縁で結びついた2人の女は、お互いの手の内を探り合うかのように、肉体をぶつけ合う。
だが、何度目かのインパクトの後、膠着状態だった闘いに、変化が起きた。
ミカエルが、右手の拳を振り上げながら、迫ってくる。
ジュノンは、彼女の強烈な右フックを顔面スレスレでかわす。
しかし、直後に黒き堕天使の翼から、天使の弱点である、瘴気を含んだ粒子が放出された。
「…っ!!」
とっさに両腕でガードしたジュノンだが、その反動でバランスを崩した。
その隙を見逃さなかったミカエルが、彼女に突進し、遂に動きを捉えた。
「捕まえたわよぅ…」
「あぅっ…!!」
闇の力が宿った、ミカエルの右手が、ジュノンの首を掴む。
しなやかな5本の指が、白き大天使の細い首を、ギリギリと締め上げた。
「うふふふ…詰めが甘いトコロは、ちっとも変わっていないわねぇ? ダメよぅ…良い女は、沢山引き出しを持っていなくちゃねぇ?」
上気した表情で、首を締め上げながら、ジュノンに語り掛けるミカエル。
一方のジュノンは、苦悶の表情を見せながら、堕天使の攻めから逃れようと、奮闘していた。
それを感じ取ったミカエルは、そうはさせまいと、左手でジュノンの下腹部を掴み、そこへ瘴気の混じった波動を流し込んだ。
「ぐはぁっ!! …あがぁっ……はぐうぅぅっっっ!!!」
内臓を抉られるような痛みに、ジュノンは悲鳴を上げる。
そんな彼女を、いとおしそうに見つめるミカエル。
「そうよぅ…その表情…その苦痛に喘ぐ声……私が暗黒の世界で求め続けていたモノだわぁ。うふふ…さぁ、もっともっと私を感じさせて頂戴ぃ…」
いやらしく、そして興奮した声で、自分に語り掛けるミカエルを、ジュノンは歯を食いしばりながら睨みつける。
「…ぐぅ……冗……談じゃ………ないわよぉっ!!」
痛みに耐えながら、搾り出すように声を上げるジュノン。
と同時に、右膝でミカエルの腰の辺りを蹴り上げた。
「んぐっ!! うふ…うふふ……無駄よぅ……もう絶対に放さないんだからぁ…!!」
ジュノンの攻撃に、小さな呻き声を上げた堕天使だったが、直ぐに余裕の笑みを浮かべた。
そして更に強く、大天使の首を締め上げる。
「…あがっ!! …ぎっ……えぐ……ぅ…」
「そうよぅ……その調子ぃ……もっと苦しそうな顔をしなさぁい…もっと唾液まみれの口で…慟哭を上げなさぁい…!!」
容赦ないミカエルの”陵辱”に、ジュノンは完全に支配権を奪われていた。
逆転のチャンスは、最早無いかと思われた―。
耳が痛くなるような静寂。
凛は、ぼんやりとした意識の中で、その静寂に包まれていた。
不思議なほどにリラックスした身体は、無重力空間を漂うかの如く、ふわりふわりと宙を舞っている。
『……何だろう……とっても………心地が良い……』
薄く開けられた、凛の瞳が、微かに光を反射させる。
やがて、凛の身体は、ゆっくりと時間を掛けて、下降し始めた。
それと同時に、完全に”無”だった世界に、一つずつ”色”が散りばめられていく。
まるで、見えざる画家の手が、真っ白なキャンバスに、絵画を描いていくように。
そして、凛の身体が「地面」に着地した瞬間、世界が誕生した。
その世界は、彼女が見た事のある光景だった。
”行かないで!!”
耳をつんざくような、叫び声。
凛の目が、ハッと開かれる。
慌てて飛び起きた彼女は、辺りを見回した。
最初に目に飛び込んできたのは、幾重にも重なった石で造られた壁。
全体がシットリと濡れていて、所々に苔が生い茂っている。
続いて凛が気付いたのは、その石の壁の前に、背中を向けて両膝を付き、うな垂れている一人の女性の姿だった。
『…この人…!!』
凛は、声にならない声を上げる。
それは、その女性がとても見覚えのある人物だったからだ。
青いエナメル質のレオタードを身にまとった、紫色の美しい長髪をした女性。
『…前に夢で見た人だ…!!』
自らに言い聞かせるように、心の中で呟く凛。
以前、彼女が見た夢―いや、夢というよりは、一種の<映像>に近いモノだろうか。
泣きながら―彼女と同じ紫色の髪をした―少女を、暗い部屋に閉じ込め、その後、甲冑をまとった集団に殺害された女性。
その女性が、再び自分の前に姿を現したのだ。
凛は、そう確信していた―そして。
「…ごめんなさい……ごめんなさい………リディア……ッ」
涙声で、そう洩らす女性の言葉に、凛の目が、大きく見開かれた。
”リディア”
女性は確かに、そう言った。
次の瞬間、フラッシュバックのように、様々な映像が交錯する。
重い鉄の扉を閉める女性。
泣き叫ぶ少女。
飛び散る赤い鮮血。
そして、蒼い光の翼を広げた、大切なパートナー・リディアの姿。
『……この人……やっぱり………リディアの……!!』
凛の頭の中に、欠けていたジグソーパズルの一片が、ピッタリとはまったような感覚が走る。
これは夢なんかじゃない。
これは、過去の<記憶>だ。
理由は分からないが、自分は今、過去の映像を目の当たりにしているのだ。
そう凛が思った瞬間、目の前でしゃがみ込んでいた女性が立ち上がった。
そして、凛の方を振り返り、何かを決意したかのような表情で、歩み寄る。
視線が自分に向けられていた為、凛はとっさに何か声を掛けようと口を開ける。
だが、女性は凛の横を通り過ぎ、その先に広がる薄暗い空間へと歩き去って行った。
『ま、待って……!!』
慌てて、女性が歩いて行った方を振り向き、凛は叫んだ。
しかし、彼女の声は漆黒の空間に吸い込まれて行くだけだった。
一人取り残された凛は、しばらくその場に立ち尽くしていたが、やがて何かを思い出したかのように、後ろを振り返った。
そして、先程女性がしゃがみ込んで居た場所に目をやる。
そこには、分厚い鉄の扉がそびえ立っていた。
凛は、それに誘われるように歩み寄ると、赤錆びた扉の表面を、そっと手で触れた。
ゴツゴツとした感触と冷たさが、手の先から伝わってくる。
すると突然、全く力を入れていないにも関わらず、扉が音もなく開き始めた。
驚きながらも、凛は開かれた扉の先に広がる光景を凝視する。
そこには、また別の<記憶>が映し出されていた。
扉の先に広がっていた光景―それは。
粘膜を焼くような強烈な刺激臭。
地面を染める、赤い液体。
僅かに上へ視線をやると、そこにはひどく見覚えのあるモノがあった。
凛は、まばたき一つせずに、その物体を見つめる。
そこには、人が吊るされていた。
全身に多くの痣と裂傷が刻まれ、そこから止め処なく鮮血が滴り落ちている。
そして、そんな身体を、更に痛めつけるように、銀の鎖が何重にも巻かれ、その人物を天井から宙吊りにしていた。
凛は、放心状態になったような表情を見せながらも、その人物の顔を凝視する。
ドス黒い血がこびり付いた顔面。
紅に染まった、紫色のロングへアー。
一直線に切り裂かれた喉元からは、休む事無く体液が漏れ出している。
間違いない、あの人だ。
さっき、私が会った、あの人だ。
リディアの―お母さんだ。
凛はハッキリと確信していた。
惨殺された挙句、晒しものにされている、この人物が、リディアの母親であると。
そして、自分がこの<記憶>を見ている事が、運命だという事も。
『そう…だって私は……”器”だから…』
凛の口から、言葉が漏れる。
その言葉の意味が何を意味しているのか。
この時は、凛自身にも、分かっていなかった―。
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